記録


1. 寒冷前線の通過

7月下旬
槍ヶ岳西鎌尾根

前日、黒部五郎岳から双六小屋に向かう途中、ガスが出始め弱い雨となった。低気圧の勢力圏内に入ったらしい。夜半、屋根をたたく激しい雨の音と「ゴオーッ」というすさまじい風の音を寝床で聞いた。僕はそれが寒冷前線によるものだと思って、「明日は晴れだ、しめしめ…。」と思っていたのだが、朝になってみると雨は幾分弱まったものの降り続いている。TVの天気予報を見ると、9時の予想図では寒冷前線が北アルプスにドンピシャ!僕はそのとき、昨夜の激しい天候が温暖前線によるものだったと気づいた。やがて寒冷前線の影響が出始め、風雨が激しくなってきた。既に小屋では大半の人が停滞を決めた様子…天気予報の影響は大きい。外に出ていった人も数人いたが「飛ばされそうだ」と帰ってくる。小屋のご主人小池さんも登山者に気を遣ってくれて、話し掛けてくれながら無理をしないように促してくれる。ありがたいことだ。僕が槍ヶ岳に向かうというので、肩の小屋へ無線で状況を聞いてくれたが、やはり天候が思わしくないため、ピーナツなどを出してくれて「まあ、やめといたら」と言ってくれた。結局僕は出てしまったのだが、今でも申し訳なく思っている。
僕の計算では前線は10時通過。僕のペースではおそらく槍の肩まで3時間の行程である。11時に出発してみようと決めて、それまで他の登山者といっしょにTVでオリンピック中継を見ながらノンビリした。
11時。外に出てみると風雨はまだ強いものの、ガスの動きと風向から、確かに前線は通過してしまったように思える。樅沢岳から空を見ると幾分明るい。いける、と判断し、ガスの中を進んだ。行程中は4人の登山者と1羽のライチョウとすれ違ったのみであった。結局天候はその状態のままだったが、槍の肩には1時半到着。4時過ぎには青空が見え始め、翌朝は素晴らしい快晴となった。

ポイント
低気圧の動きを影響の出始めから捉えていたことと、TVの予報で確認できたこと、そして、観天望気で固められたことが行動を可能にした。が、やはり高山稜線のこと、こんなときは停滞した方が良いと思う。情報が無いときは温暖前線と寒冷前線の取り違いなどは危険を招くし、低気圧は一つとは限らないので、寒冷前線が通過して一瞬天候が快復してもすぐに悪天となる場合がある。新田次郎の小説にもそんなのがあった。



2. 台風の通過
9月中旬
千畳敷カール

前日は山麓の駒ヶ根高原に泊った。台風が近づいているのは知っていたが、なにせ台風の進路ほどテキトーな予報はないので、一応山麓には入っておくというのが僕のやり方なのだ。
朝のTV予報の実況図では珍しく進路が当たっていた。中央アルプスへの影響は微妙なところだ。実は中ア北部の縦走を計画してきたのである。今考えると、当初の計画通り池山尾根を登って空木岳へ辿り着き縦走すれば良かったと思うが、ロープウエーが動いているというので、つい軟弱な考えにとらわれてしまった。
文明の利器で千畳敷に着くと、いきなり遭対協の名物オヤジ木下さんに行動を制止された。「稜線は強風だから…」ということだ。うーん、そんなことはわかっているんだけどなあ…。この年は宝剣岳での滑落事故が異常に多く、ピリピリしていたのだろう。
三の沢岳も駄目だというので、千畳敷内1時間の散策だけを許されてしぶしぶブラブラする。当然人はなく「人のまったくいない千畳敷を歩く」という珍しい体験はできた。ガスにむせぶ紅葉も美しかった。さて稜線がどんなもんだったか判らないのでなんとも言えないが、カール内は微風・ガス(視界は割とある)・中程度の雨であった。つまりたいしたことはない。中アは南北に長い脊梁山脈であり、東には同じく南北に長い脊梁山脈(南アや前山)があるので、東斜面には台風からの直接の風はあまり入ってこない。しかもカールはその形からして、風が入りにくい(水蒸気は溜まりやすい)。しかし、障害物の全く無い稜線上ではたしかに強風が吹き荒れていたものと思われる。山の天気を考えるには細かい地形を無視することはできないのである。



3. 気圧の谷の通過
11月上旬
八ツ・硫黄岳

今日の夕方ごろ気圧の谷が通過するらしいということだ。中央線から見る空は雲ひとつない。こんなときは要注意で、のんきに構えているとヤられる。美濃戸から北沢に入り赤岳鉱泉に着く。「気圧の谷の通過」が頭にありかっ飛ばしてきたので、まだ1時である。いまだ晴天だが、低気圧接近を示す巻雲が出ている。
硫黄岳への樹林帯の道に入る。11月といっても雪は殆ど無く、日陰にかすかにある程度だ。念のため、ピッケル・アイゼンは持ってきたのだが、これが後で大いに役立つことになる。
森林限界を超える手前で横岳の稜線が見える。ここで驚いた。巨大なレンズ雲が邪悪な姿を横たえているではないか!強風の証だ。硫黄岳付近は強風で有名なのだが、分かってはいてもこんなのを見せられては気が萎える。
赤岩の頭に着く。強風だ。しかしここはまだいいほうだろう。硫黄岳から横岳への稜線は南北に走っており、真横から西風を受ける。現在地は東に硫黄岳があるため、風はこれでも弱めのはずである。それなのにこの風!弱気になったためか、さっきよりレンズが成長したようにも思える。
硫黄岳に着く。もう立っているのもままならない。引き返すかどうか悩んだが、進むことにした。硫黄岳山荘目指して下っていく…と数歩下ったところで風に舞い上げられて転倒!幸い打撲と突き指で済んだが、ここからが大変だった。少しでも体を起こすと倒され、進めない。雪は無いがピッケルでバランスを取りながらじわじわ進むことしかできないのだった。7つのケルンを1つずつ目標にして、10分で行けるところを40分かけてなんとか山荘に辿り着いた。
夜になっても強風はやまず、ついに雪が降り出した。明くる朝も吹雪で、積雪は稜線でも15cm程となり、その中を再び硫黄岳・赤岩の頭を経て下山したのだった。

ポイント
気圧の谷は上空のものであるため、天気図では認識しにくい。影響が大きい場合は予報でキャスターが口にするので頭に入れておき、観天望気でサポートするようにしたい。
10月半ばを過ぎて高山に向かう場合、そのとき雪は無くても備えは必要である(場所にもよるが、最低軽アイゼンくらいは)。



4. 梅雨の山行
7月上旬
北八ヶ岳稜線

梅雨の時期には山行をしない人もいるかもしれないが、僕の場合花が好きなので非常に好きな時期なのである。雨も慣れてしまえばこっちのものとばかりに出掛けるのだ。
いつものバスで奥蓼科登山口を11時に出発した。雨は降っていないが、ガスが出ている。黒百合平から天狗岳に向かうとガスは一層濃くなった。展望は全く無いが、根石岳に向かう稜線では所々に小さな花がいてかわいい。結局雨には遭わずに根石山荘に入る。数分後、バタバタと雨が降りだす。
雨は一晩中降り続き、朝になっても雨足は変わらず。夏沢峠の小屋では知り合いが小屋番をしていたため、すぐに休憩。結局4時間も話し込み。下山。一向に雨足変わらず。やっと本沢入り口付近で晴れ間が出た。アヤメが美しい。

ポイント
ガスや雨の中では空を見ることができないので、天気は神のみぞ知るということになってしまう。停滞前線の動きは天気予報もあてにならない。まあ、 ガスの動きで風を観ることがなんとかできる程度である。梅雨の末期以外は比較的穏やかな雨が多い(とはいえ平地とはわけが違うが)ので、万全の装備で開き直っていく、というのがよい。ただし沢沿いの道は避けることと、また積乱雲が出て雷を伴うこともあることを頭に入れておくべきである。この強雨や雷は下界の予報では捉えられないので注意したい。

なお、蛇足ではあるが、このときの紀行が「山と渓谷97年1月号」に載っている。



5. 強い冬型
12月上旬
北八ヶ岳東面

TVをつけたらちょうど天気予報をやっていて「一級の寒気(寒気核マイナス40℃)が入ってくる」と伝えていた。八ヶ岳という山域は気象の境目で、いわゆる「冬型」のとき、北アルプスと対照的に晴天となることが多く、冬型が強くなるにしたがって西面から吹雪くようになる。今回はその「強い冬型」であり、まず間違いなく西面は吹雪くパターンである。ラッセルは面倒だから東から入山すっか…ということで急きょ予定を変更し、小淵沢で小海線に乗り換えた。すでに小雪が舞っているが、「天気雨」ならぬ「天気雪」、頭上は青空だ。山に降る雪が飛ばされてきているのである。
小海駅から3人連れの登山者とタクシー相乗りで稲子湯へ向かう。途中稜線の方を見ると、ものすごい雪雲に覆われている。ああ、やっぱり。しかし、こちら側は風は強いものの陽が射している。まさに八ヶ岳稜線が天候の分かれ目になっているのだ。
登山道に入ってからもしばらくは「天気雪」の状態であったが、「しらびそ小屋まではっても30分」の道標のあたりでは空も暗くなった。寒気の南下と稜線に近づいたのと両方の影響であろう。しかし、たいした雪にも遭わずしらびそ小屋に到着だ。
次第に雪は本格的になり、翌朝10時ごろまで降り続いた。サブザックで中山峠への道をラッセルしながら進む。昨日の雪は樹林帯で1m、吹きだまりで2mは積もっている。峠直下の急斜面では胸まで潜り難儀したが、美しい霧氷と快復した天候に引き寄せられるように峠に着いた。自分でトレースをつける気持ち良さとこの霧氷の汚れ無き美しさは今回の状況ならではのものだ。

天候を読み、行程を調整できれば、悪天を避けながら行動することもできるのである。



6. 地形特有の気象
9月上旬
穂高涸沢岳稜線

9月の穂高は最盛期のような混雑も無く快適である。前日は北穂小屋に泊った。この小屋は特に食事が美味しく、クラシックが流れる居心地のよい小屋で、その日は朝から濃いガスが出ていたのもあってなかなか行動する気にならなかった。小屋を出たのは9時を過ぎてからであったと思う。ガスの稜線をとりあえず南に進む。飛騨側(西側)からの風が強く、9月とはいえ結構寒い。道が涸沢側を巻くようになると風はなくなる。涸沢側はほとんど視界が利かないが、飛騨側はたまにガスが切れる。あれ?待てよ…西風なら西からガスが湧いてくる方が自然じゃないのかなあ?どうみてもガスは涸沢側(東側)から湧いてきている…と、一瞬真面目に気象予報士らしい思考になったのだったが、途中で女性2人に追いつき、一緒に歩き出してからはそれどころではなくなったのであった。

後で知り合いの気象予報士(山ヤ)と話していたら、稜線よりも高いところに強風が吹いていると、風向に関わらず上昇流が起こるのではないかと言う。そういえば、上空のジェット気流はその下層での上昇流を強める効果があることは気象学の基本である。また八ヶ岳でも、稜線で西風が強いときに東の佐久盆地からガスが湧いてくることがあるし、他の山域でも似たようなことがある。よくよく考えてみると、ガスの湧きやすい場所というのは水蒸気の吹きだまりと関係しているように思える。水蒸気はいつでも十分だから、上空で強風が吹きさえすればガスが湧くというわけではなかろうか。いまのところ、
涸沢のようなカール地形はスリバチ状であり、水蒸気が溜まりやすいのではないか。
雪渓がかなり残っており、その水分がガスのもとではないか(一の倉沢や白馬大雪渓のガスなども同じ理由で説明できる)
涸沢側には梓川があるから、水蒸気の供給に一役買っているのではないか(八ヶ岳も西側より東側の方が水系が多い気がする)。
などと考えている。



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